貰ったカニ~安いものを買うとはどういうことか?~

失敗例

先日、親が購入したカニを譲り受けたので、その日の夕食としてそのカニを食べました。私は魚介類が好きで、サケやカニが好物です。それを知っていた親が私を喜ばせようとしてくれたのでしょう。

問題は、その親の気持ちではありませんでした。もらったカニでした。茹でて冷凍したものだったらしく、身にほとんど味がなく、香りもごく弱く、わかりやすくいってしまえば美味しくありませんでした。親に対してとはいえ貰い物の値踏みをするのは行儀がよくありませんが、あまり高いものではなかったのではないでしょうか。

本当の問題というのは、そのカニのことではなかったのかもしれません。実際には、それを食べたときの私の心境だったのかもしれません。美味しくなかったので、嬉しい気持ちにまったくならなかったのです。満足感が皆無で、むしろ虚しくなりました。

そして頭のなかで、いろいろな考えが巡りました。今回はそのことについて、少し述べたいと思います。

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「本当にほしいもの」とは?

そのカニを食べながら、私はため息をつきました。なにが私をこうも落胆させているんだろう、と内省してみました。貰い物に対してこう感じるのは失礼なのかもしれませんが、やはり私にとってそのカニは「ほしいもの」ではありませんでした。

私は「安いカニ」を食べたくはなかった

貰ったカニを見た瞬間に、私は「これは安いカニだ」と真っ先に感じました。「美味しそう」だとか「やった! 好物だ!」という感慨より先に、痩せて身の詰まっていなさそうなカニは、はじめから食指の動くものではありませんでした。

そうはいっても、しっかりと代金を支払って買ってきたカニです。そしてその食卓に並ぶまでに、私の目の前に届けられるまでに、カニは捉えられて命を奪われています。それを無下にするわけにもいかず、いつも通り食べられるところはすべて食べました。

しかし一向に気持ちが晴れないのです。正直にいうと、普段の何気ない食事より味気ないものでした。100円のカップ麺のほうが満足感はあったかもしれません。好物であるだけに、中途半端だったことがずっと引っかかっているのかもしれません。少なくとも私にとって、その食事は「豪勢」なものではなく、むしろ「貧しい」ものでした。

そして内省した挙句に私が出した結論は、「こんな食事を求めていたわけじゃない」というものでした。私も成人してから随分経つので、「物事は投じた費用の多少によって量や質が変化する」というのが基本なのだと重々承知しています。私のために買ってきてくれた親を責めるつもりも毛頭ありません。

しかしそうした気持ちが云々という事柄以前に、私の「カニを食べた」という気持ち、また「いい食事をした」という気持ちはまったく満たされませんでした。

食べるなら「美味しいカニ」を食べたかった

この満たされなかった気持ちを満たすには、どうすべきだったのでしょうか? 今回の出来事をもっとシンプルに考えるために、「自分で買った食事でまったく満足できなかった」という状況を想定してみましょう。

このときもっと満足感を高めるためにすべきなのは、「もっと質の高いものを買うべきだった」というのが、わかりやすい答えになるでしょう。満足できない原因は、「物足りない」という感情にあります。好きでないものを食べて満足感がなかった場合は、「好きなものを食べるべきだった」という結論になるでしょう。今回のカニのように好物であった場合は、やはり「質の高いものにするべきだった」というのが結論になります。

このときの問題は、資本主義社会の常として「質のいいものを得るには相応の対価(金銭)を支払わないといけない」という点です。いつでも間違いなく合致するわけではありませんが、「安い=悪い」「高い=いい」という簡単な図式が成り立つものです。そのため質を求めるなら、もっと費用を投じるべきだったというのがおおよその結論になるでしょう。

今回は貰ったカニだったので、親といえども失礼にならないようにやはり今回のカニを食べないわけにはいかなかったでしょう。その食事の満足度を上げるためにそのカニを食べずに捨てる、という選択肢は「存在」はしても選べるものではありませんでした。
ひょっとすると親に対して、「中途半端なものを買わないように」と釘をさす必要があったのかもしれません。それは私の今後のためではなく、親の今後のために、です。もしかすると「我が子だから」と安めのカニを買ってきたのかもしれません。知り合いにプレゼントする場合は、もっとちゃんとしたものを贈るのかもしれません。

いずれにせよ、今回の出来事は自戒として受け止めています。親を批判したり責めたりする気持ちはありません。

安さになにを求める?

この一連のことを考えた後、私はすぐ様このサイトのことを思い出しました。このサイトでは、ゲーム用途としてのグラフィックボードの、ひいてはPC自体の情報を掲載しています。そして私はこのサイトの各所で「安いものはあまりオススメしない」と述べてきています。

その例の一端が、今回の「まったく満足感に寄与しないカニ」だったのではないか、ということです。

安さの恩恵

多くの人が「安さ」に魅力を感じます。少なからず私もその一員です。そうして安さに魅力を感じるとき、私たちは安さのなかに「恩恵」を見出します。有体にいうと、メリットです。「安いことはいいことだ」という価値観が現在の日本ではそこかしこで見受けられます。

安く商品を買えると、私たちは「得をした」と感じます。その気持ちに応えるように、販売する側は商品をよそよりも安く売ろうとします。
激安スーパーなどでは「1円」の特売商品が売られることがあります。TVのニュースなどでも取り上げられることがあります。これはそれで利益をあげるというよりも、宣伝効果や来客効果を狙ってのものでしょう。しかし果たしてこの1円の商品は、「1円しか価値がない」のでしょうか?

お金というのは、それ自体が価値をもっています。より具体的にいうならば、お金とは「多くの人が『価値があるもの』と信じ込むことで成立するもの」です。私たちは誰しも硬貨がただの金属の丸い板であり、また紙幣が薄っぺらな紙であることを知っています。しかしそれに価値があるというのは、それを管理している「国」が裏切らないと信用しているからです。

お金自体に価値がある(と信じられる)ため、それを誰かに(支払いとして)渡さなくてはいけない場合、少ないほうがいいと考えることができます。なぜならそのように渡す場合は自分の所有物から捻出するため、渡す量が少ないと所有物の減少も減らすことができるからです。そう理解するとき支払う額が少ないと、私たちは安いことを「恩恵」だと感じるようになります。すなわち安いほうが得だと考えるようになるのです。

安さの代償

しかしお金とは、渡すだけ、支払うだけのものではありません。お金は稼ぐものでもあります。そしてこのときは「安さ」がなにひとつ恩恵とはならないのです。
時給や月給が安くされることは、働く人にとってなにひとついいことはありません。この場合は逆に、「高いほうが恩恵になる」ということです。

安さが必ず恩恵であるとは限らず、場合によっては安いことが損に繋がることがある、というのは踏まえておきたい点です。自分の許容できる範囲や求める範囲を示すのに、「ストライクゾーン」と表現することがあります。「あの子はストライクゾーン」「あの男の人はストライクゾーンじゃない」といったふうに、です。安く買おうとするとき、私たちは安さに合わせてストライクゾーンを下げています。「安いから得だ、このくらいで充分」と納得します。それを続けることで、私たちはストライクゾーンを下げることに慣れ切っていたら、いつのまにかストライクゾーンが以前より下がってしまっていたことに気づくのでしょうか?

激安スーパーの1円の商品は、私たちのなにを満たすのでしょうか? その商品はもともとほしかった商品なのでしょうか? それとも激安だから買ったのでしょうか?
たまに「価格破壊」という表現を見聞きすることがあります。安いことを恩恵だと捉えると価格破壊は諸手をあげて喜ぶべきものですが、安いことが必ずしもいいとは限らないという観点から見ると、どうなのでしょう? 破壊されているのは商品の価格相場なのでしょうか? それとも私たちの金銭感覚なのでしょうか? それとも両方なのでしょうか? このように安さだけを求める姿を見てみると、どこかしら安さには恩恵があるだけではなく、それによって壊されてなにかを失ってしまう「代償」のようなものを感じることもできます。

このような「代償」について考えてみると、今回のカニの出来事は私だけの問題ではなく、また親を含めた家族間だけの話でもなく、日本全体、ひいては地球上の経済活動全体に広げて考えることができるのではないでしょうか?

「情けは人の為ならず」という言葉は誤用が多いと報道されることがあります。「情けをかけるのはその人の為にはならない」という意味ではなく、本来は「人を助けておくと、めぐりめぐって自分のところへ返ってくる」という意味だといいます。
因果応報の言葉に代表されるように、人に対して行った言動が返ってくるという考え方は一般的に認知されています。それがいい行いなら自分にもいい結果をもたらし、悪い行いなら自業自得として悪い結果をもたらす、というふうな考え方です。
この考え方を踏まえると、まず自分の買い方を改めなければ日本社会の価格の乱れは是正されるものではありません。それは短期的な1年や2年の話ではなく、長期的な10年や20年、ことによっては50年といった長い期間での観点の話になります。

「安い」とはどういったことなのか、皆さんも考えてみてはいかがでしょうか?

さいごに

今回の出来事は、私は自戒として受け止めました。そしてもしこの考えに、すべてではなくとも少しでも頷けるものがあると感じられた方は、ゲーム用途でグラフィックボードを買うとき、PCを選ぶときにぜひ気をつけてみてください。今回のような「安さの代償」を避けるには、やはり立ち止まることが大切です。そしてひいては、ゲーム以外のことでも、このサイトの存在をすっかり忘れた後でも、「安さとはなにか」「健全な購買行為とはどんなものか」「健全な経済活動とはどんなものか」に思いを馳せる一助になれば、と思います。

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