こんにちは、Caffeineです。
前回に引き続き、今回も「終末にさよならを、君に救済を。」のご紹介です!
感想
前回のエントリでは、ネタバレを極力 避けるためにいろいろなことをボカしながら紹介してきました。今回はネタバレをまったく避けずに感想を述べていきますので、ネタバレを見たくない方はご注意ください。
また執筆段階で、過去作である「RE:トロイの木馬-TROJAN HORSE-」をプレイ中(完全クリアはまだ)です。一部そちらの情報が混じることがあるかもしれませんが、ご了承ください。
すべては作者の思惑
本作「終末にさよならを、君に救済を。」の紹介をするときにネタバレとして特に避けないといけなかったのは、ゲームをプレイし始めて巳雲がプレイヤーに話しかけてくるときから、罠が仕組まれているということでした。この罠は、「巳雲がしかけた」というより、「作者がしかけた」と表現するほうが妥当でしょう。
なぜなら巳雲は本当にみんなを助けようとした向きがあり、プレイヤーを率先して騙そうとはしていなかったようだからです。現実に、巳雲は積極的に嘘をつくことなく、単に「不都合な事実を伏せる」という形でプレイヤーを操作しようとします。もし嘘をつくことに躊躇がなければ、敵がもっと悪いヤツだという偽の話でも作ることで、もっと簡単かつ効果的にプレイヤーを騙すことができたでしょう。
地獄への道は善意で舗装されている
「地獄への道は善意で舗装されている(The road to hell is paved with good intentions)」ということわざがあります。このことわざを「たとえ善意であっても相手の意志を尊重しないものであれば容易に破滅を招きうる」と解釈すると、巳雲にうってつけの言葉になります。
巳雲は最初からプレイヤーに事実をすべて話すことができましたが、しませんでした。それは巳雲が自身のしようとしていることを「おそらくプレイヤーは受け入れない」と客観視していたことを示します。巳雲は他者の感じることを信用せず、自分を優先したのです。
巳雲の性格や判断については、前作などを細かくプレイしている方のほうが理解は深いはずです。そのため彼の性格などはプレイヤー個々人の判断に任せるとしましょう。
謀りすらプレイヤーのため
私たちにとって大事なのは、そのような巳雲がいるゲームをプレイしたことでどう感じるか、という点です。
私は繰り返し述べているように、うまく騙してくれるのであればゲーム上で騙されることには頓着しません。むしろうまければうまいほど歓迎します。
なぜならそうした謀りはすべて「プレイヤーを喜ばせるため」のものだからです。
エンタメは鑑賞者のためのもの
ゲームは表現物です。表現物はおおまかにエンタメと芸術に分けることができます。私たち一般人にとっては、芸術とかいう小難しいものよりもエンタメのほうがずっと身近です。そして本作も、芸術作品ではなくエンタメ作品です。
エンタメ作品というものは、鑑賞者を楽しませるためだけに存在します。たとえ芸術っぽく見えても、エンタメである限り鑑賞者がすべてなのです。
もし私腹を肥やすためにエンタメ作品で稼ぐ人がいたなら、その人はエンタメの表現者としては二流です。商売がうまいだけの二流エンタメ表現者です。
そのためゲームクリエイターであれば、ゲーマー・プレイヤーを楽しませることを考え続け、それを実現し続けることが至上命題です。このなかには「しっかりと稼いで、次の作品のために投資する」ことも含まれます。
しかし自分の稼ぎを増やす(=私腹を肥やす)ためであれば、表現者として偽物です。
そうした観点からすると、本作のように「プレイヤーを騙す」ことはエンタメの理念上まったく問題がないのです。もちろん「プレイヤーを喜ばせる」ために騙すという目的が裏にないといけないのが前提です。
たとえば「どんでん返し」や「トリック」などがそうです。どちらもドラマや映画なら視聴者、マンガや小説なら読者の予想を裏切るものです。しかし目的はそうした人たちを喜ばせるものなので問題ありません。
本作はエンタメを実現している
本作「終末にさよならを、君に救済を。」では、しっかりとプレイヤーを喜ばせる目的が潜んでいると判断できます。つまりエンタメをしっかりと体現・実現できています。
常識の破壊
この手の作品の場合、プレイヤーを喜ばせる要素は「常識の破壊」です。
たとえば本作の見どころは、最後の兄弟ゲンカのシーンです。兄弟ゲンカというとしょぼい印象を受けますが、マンガ「バキ」シリーズも結局は親子ゲンカであったことを考えれば、あまり問題ではありません。要はどう演出するか、です。
その兄弟ゲンカのシーンでエンディングを見ていくと、巳雲も理雲も「どっちもどっち」であることがわかります。巳雲はプレイヤーをあざむき人々を倒そうとしていましたし、理雲は巳雲を倒した後「永遠に二人だけの世界だよ」といっているのでやはり独善的であることがわかります。どちらも「喜ばしい救済者」ではないのです。
いわば本作は「どうゲームを進めようとプレイヤーが最善だと認識できる喜ばしい結末はない」と捉えられます。人によってはこれでも満足できるかもしれませんが、私はできませんでした。どのエンディングを見ても、たとえTRUEエンドを見ても、どこか首をかしげたくなる終わり方となっています。
この「いつでもプレイヤーが満足するようなエンディングが用意されているとは限らない」というのが、マンネリ化したゲームの「お決まり」を破壊するのです。この構造の破壊こそが、エンタメとして「おもしろい!」と感じることにも繋がります。
いいかえると「考えさせられる」というのもエンタメのひとつだといえます。衝撃の度合いが強すぎて「存在意義を揺らがす」くらいになるとエンタメの要素は薄らいでいきますが、本作の「考えさせる」度合いは強すぎず、エンタメの範疇であるといえます。
常識を理解していることが大事
この破壊、いわば「常識をくつがえす」という行為は、実はちゃんとそのジャンルを理解している人でないとわかりにくいのが難点です。今回でいうと、「ゲームの常識」を理解していないと、その常識を破壊しようとしているのがわかりにくくなるのです。つまりこれは「ゲームに慣れていない人には向いていない」と判断できるのです。
フリーゲームをたくさん遊んでいる人であれば、本作を楽しめる素養があります。もちろんフリーゲーム好きでも、単純な作品やシンプルな作品が好きな方もいることでしょう。もしくはさほどフリーゲームをプレイしていなくても、ゲームの常識をうまく理解している人もいるでしょう。
少し楽しめる人の幅が減る可能性はありますが、私はこうしたトリッキーな作品が好きです。もし絵柄がキャッチーなだけなどなら、こうして「#1ツイゲームレビュー」からとりあげて個別の記事を作成することもなかったかもしれません。
ボスたちは前作の登場人物
これを執筆している段階で、私は前作の「RE:トロイの木馬-TROJAN HORSE-」をプレイしています。エンディングをすべて踏破しているわけではありませんので、その全貌を理解しているわけではありません。
しかしざっくりとでも前作をプレイしていれば、本作に登場するボスが実は前作の登場人物であることがすぐにわかります。重要なのは、本作の「テレビ」です。テレビは各ステージに配置されており、そのステージのボスと対応している様子が伺えます。
これはステージ内で巳雲が語る「友だち」の描写も関係しており、すべてが全作の登場人物と紐づけされる形になっています。もっと端的にいうと、ボスの名前がそのまま前作のキャラクタ名になっているので、前作をプレイしていれば一目瞭然でしょう。
「Read_Me.txt」にて前作を「プレイしなくても大丈夫です」と明記されているように、「ボスが前作のキャラ」であることを知らなくても、それなりに楽しめる作品にはなっています。しかしやはりしっかり味わうなら、前作をプレイしていたほうが没入感は高いのでしょう。
次のエントリ
今回は少し長くなってしまったので、次回もネタバレありの感想を続けていきます。